隈病院の歩みを見る
隈病院、知と心のイノベーション
HISTORY
2022年12月、
隈病院は創立90周年を迎えました。
2022年12月、
隈病院は創立90周年を迎えました。
積み重ねた知を、次なる道へ。
1932年の開院以来、
患者と甲状腺疾患を見つめつづけてきた隈病院。
常に身体と心の両面から
患者に寄りそってきたその道のりは、
診療への深い探求と、新たな発見の歴史でした。
90周年を迎え、これまで培ってきた
知見と技術を束ね、
新たな道への扉を開く時。
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病院の改築計画を見る
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病院の改築計画を見る
隈病院の改築計画
改築のコンセプトは「これからの時代に即した、機能とアメニティの病院へ」。 隈病院では以前より、 医療安全の観点からISO国際基準を上回る医療環境を整備してきましたが、 コロナパンデミックの時代を受け、 施設スペースをより広く確保するとともに、 持続可能社会の実現に向け、 現在より50%エネルギー効率向上を目指すなど、 今の時代により即した施設を見つめ、 改築を進めています。
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隈病院、知と心のイノベーション
HISTORY
その時、次なる道は拓いた。
甲状腺専門である隈病院は、
どのような道を歩んできたのか。
過去の写真や資料とともに振り返ります。
Episode-0
初代院長「隈 鎮雄」
1890年、隈鎮雄の誕生
隈病院の知の歴史は、
ここから始まる。
1890年~
九州・長崎大村の地に生を受けた
隈鎮雄(初代院長)は、医療の道を目指す。
1910年~
橋本病の発見者である、橋本 策博士が所属した、
九州大学医学部第一外科で学んだ鎮雄は、
まだ、甲状腺疾患が世に知られていない当時より、
甲状腺医学に強い関心を持ち、
やがて甲状腺手術の名手として
広く知られるようになっていく。
橋本 策博士と隈 鎮雄
1928年~
その手腕を買われ、大分県別府市の
甲状腺疾患専門病院、野口病院の副院長に就任。
橋本 策博士と隈 鎮雄
昭和初め頃、現在の九州大学医学部第一外科 三宅外科同門会の記念写真より。
橋本病の発見者である橋本 策博士の隣に、隈 鎮雄が写っており、深い親交があったことがうかがえます。 その他、野口病院の初代院長、野口雄三郎博士の顔も見られ、まさに、日本の甲状腺外科の歴史がここから始まったと言えるでしょう。
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日々、医療に邁進する鎮雄に、
決断の時が迫っていた。
「甲状腺医療の発展のために、
独立しないか?」
野口病院の院長、野口雄三郎からの
要請があったのは1932年のことだった。
Episode-1
「隈病院」開院
神戸の地に
生まれ故郷・長崎を思わせる、
神戸での独立を決意。
所蔵 絵葉書資料館
© 神戸新聞社
© 神戸新聞社
1932年
「隈病院」開院
近代化の波が急速に押し寄せていた神戸に、
一般外科として開院。
当時はまだあまり知られていなかったバセドウ氏病を
世に先駆けて診療科目に標榜していた。
開院の新聞広告を見る
隈鎮雄は、
インフォームド・コンセントの概念がなかったこの時代に、
患者の不安を少しでも和らげるため、
バセドウ氏病の手術の概要をわかりやすく紹介した
小冊子「バセドウ氏病通俗談」を発行。
「患者中心のよりよい医療を届ける」
という隈病院の原点は、
すでにこの頃から養われていった。
バセドウ氏病通俗談を見る
1945年
神戸大空襲という試練
開院から13年、一歩一歩、地域に根づいていた隈病院を、
大きな試練が襲う。第二次世界大戦も終わりに近づいた、1945年のことだった。
3回の空襲により、神戸の街は焼け野原となるが、
隈病院は奇跡的に焼け落ちることはなかった。
焼け残った隈病院には、自分の病院や診療所を失った
近隣の医師たちが集まり、なんとか診療を続ける。
隈病院が、いわば神戸一帯の総合病院としての役割を
果たしていたという。
隈病院の開院広告
1932年、開院当時の広告。外科一般、内蔵外科に 並ぶ、バセドウ氏病の記述から、隈 鎮雄の甲状腺 医療に対する思い入れや熱意が見て取れます。
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バセドウ氏病通俗談
当時まだ、一般にあまり知られていなかったバセドウ氏病手術を受ける患者の不安を軽減し、 安心して手術を受けてもらいたいという心遣いがこの一冊に表れています。
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太平洋戦争勃発時に軍医として招集された、
隈病院のすべての医師が、終戦時には無事に復員。
隈病院は新しい時代へと
向かおうとしていた。
Episode-2
二代目院長「隈 寛二」
甲状腺専門への転換
「全人的医療」の芽生え。
1954年
初代院長の子息・隈 寛二が甲状腺外科医として
隈病院の常勤医となる。
父・鎮雄と同様に、外科医の道を歩んだ寛二だったが、
数多くの患者を診る中で、甲状腺疾患に伴う「心」のケアの
重要性に気づいた寛二は、
患者のために良いものは、
なんでも取り入れよう
という思想のもと、
精神的治療や内科的治療など、
甲状腺疾患に対する
新たなアプローチに積極的に取り組んでいく。
アイソトープ療法の開始
1956 年
まだ日本の医療機関ではほとんど行われて
いなかったアイソトープ療法をいち早く取り入れる。
後に、隈病院が理念に掲げる、
あらゆる視点から患者を見つめた
「全人的医療」の礎は、こうして芽生えていった。
アイソトープ療法とは
1966年
二代目院長「隈 寛二」就任。
甲状腺専門病院へ。
1966年1月1日、隈鎮雄に代わり
隈寛二が二代目院長に就任。
甲状腺医療に病院の未来を見出した寛二は、
一般外科を廃止し、
隈病院は甲状腺専門病院として歩み始める。
患者の身体と心、予後の生活まで見つめた
「全人的医療」の実現
を強く望んだ寛二は、従来の外科医に加え、
内科医、精神科医・カウンセラーを新たに配置し、
幅広いアプローチからの甲状腺治療に注力。
この頃より新たな治療法に対する研究も
積極的に行われていく。
隈病院の先進的な甲状腺治療を求め、
全国から患者が集まるようになる。
患者数が急速に増えていくなか、
よりよい医療の提供には、より安定した
病院経営が必要と考えた寛二は
組織や経営基盤の整備・強化にも目を向けていく。
1981年
個人病院から、医療法人へ。
「医療法人神甲会」を設立し、初代理事長に就任。
木造だった病棟も、鉄筋コンクリートへと建て替えられ、
病床は25床から57床に。
アイソトープ療法とは?
放射性ヨウ素の入ったカプセルを内服することで、 甲状腺の細胞が、甲状腺ホルモンの原料であるヨウ素を細胞内に取りこむ性質を利用して、 バセドウ病や甲状腺がんの遠隔転移に対する治療を行うための療法です。
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同時に、甲状腺がんの
アイソトープ治療専用病室
も増設され、
本格的なアイソトープ治療が開始された。
Episode-3
阪神淡路大震災
復興とともに生まれたビジョン
隈病院の「今」へと
つながる道。
撮影・橋本 昇/JB Press
1993~
隈病院の非常勤医であった宮内 昭のもと、
甲状腺微小がんに対しては、手術を行うことなく、
積極的な経過観察を取り入れた研究を開始する。
切らないという選択
それは、後の隈病院の治療方針に
大きな影響を及ぼす研究であった。
積極的な経過観察とは?
1995年震災発生。
神戸の地に再び試練が。
1月17日 5時46分、震度6の烈震が神戸の街を襲う。
神戸の約半数の病院が倒壊や火災で診療機能を失う中、
隈病院もライフラインの寸断など
診療機能に深刻なダメージを受けたものの、
幸いなことに施設の倒壊など甚大な被害は免れ、
スタッフにも受傷者は無かった。
不安と混乱の中、
院内のスタッフを集めた寛二は、
単なる再生ではなく、
ちょっとやそっとの改善でもなく、
他を圧倒するレベルで前進し、
オンリーワンを目指そう
という復興・再生への指針を語ったという。
それは、隈病院のその後のビジョンにも
つながるものだった。
積極的な経過観察とは?
低リスクの甲状腺微小がんの9割以上は、 切除しなくても増大・進行しないという独自の研究成果から、 隈病院では、身体的なダメージや経済的負担を伴う手術よりも、 切らずに経過観察することを第一選択として提案しています。
この研究成果は世界的にも注目され、 世界で最も権威がある「アメリカ甲状腺学会」甲状腺腫瘍取扱ガイドラインでも採用されています。
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経営的な状況を元に戻すのに
約2年の月日を要したものの、隈病院は
次なる飛躍の時を
迎えようとしていた。
Episode-4
三代目院長「宮内 昭」
特定医療法人という選択
患者のために存在する、
公益性の高い病院へ。
2000年
特定医療法人に組織変更
「最高の医療をもって患者に寄り添い続ける」
という隈病院の根底を流れる理想を叶えるため
特定医療法人化の道を選ぶ。
特定医療法人とは?
2001年
三代目院長「宮内 昭」就任。
「最高の医療」を生み出し、
甲状腺医療の未来に還元しつづけること。
この理念のもと、よりよい医療の提供に向けた
様々な研究や改善がより積極的に行われていく。
隈病院の理念を見る
研究結果に基づくエビデンスから、
声帯への障害を避ける神経モニタリングといった
イノベーティブな治療
が次々と生まれる。
隈病院の革新的な取り組み
隈病院の革新的な医療が、広く世間に認められ、
年間数万人もの外来診療患者が全国から来院。
手術実績も急増していく。
2003~2005年
患者が快適に通院できることはもちろん、
スタッフが誇りを持って働ける病院であるために、
大規模改修を実施
病床数58床に増床。
同時に電子カルテシステムを導入。
二代目理事長に
「隈 夏樹」就任。
2010年3月、隈 夏樹が理事長に就任。
医師ではなく、ITの世界から転身した夏樹は、
業務効率化や医療安全の視点から、
病院業務のIT化を強力に推進していく。
特定医療法人とは?
特定医療法人とは「医療の普及および向上、 社会福祉への貢献、その他公益の増進に著しく寄与し、 かつ、公的に運営されていること」を認められ、 公益性の高い医療行為を行う医療法人として税制上の優遇措置が与えられた病院のことで、 優遇された分を病院自体の営利のためではなく、設備や施設など、 よりよい医療サービスとして社会に還元することが義務づけられています。 いわば「よりよい医療をもって患者に寄り添い続けるための仕組み」と言い換えることができるでしょう。
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隈病院の理念
隈病院では、以下の4つを理念として掲げています。
● 隈病院は甲状腺疾患中心の専門病院として最 高の医療を均等に提供すること。
● 隈病院は甲状腺専門病院としての社会的役割を果たすこと。
● 隈病院は診療において患者中心の全人的医療を目指すこと。
● 隈病院は職員が誇りを持って働ける病院を目指すこと。
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隈病院の革新的な取り組み
がんの発育速度を算出し、腫瘍の進行を予測する計算ツール、 甲状腺周辺の組織や微細な構造まで3Dグラフィックスモデルで再現することで、 腫瘍の性状や、手術後の状態を直観的に確認できるアプリケーションなど、 先進的なツールを積極的に開発しています。
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宮内院長との二人三脚のもと、
医師が医療や研究に専念できる環境が整備され、
医療現場と経営の両輪が
力強く回りはじめる。
Episode-5
創立90周年、そしてその先へ
神戸から世界へ
甲状腺医療の
次なる扉を開く。
2015年
隈病院の治療方針が
世界の指針に。
1993年より宮内 昭によって進められてきた
甲状腺微小がんの積極的経過観察の研究が、
世界で最も権威のある「アメリカ甲状腺学会」で評価され
甲状腺腫瘍取扱ガイドラインに採用される。
世界に貢献する隈病院の知見
米国で開催された国際甲状腺会議の特別公演で、
隈病院は甲状腺がんに関する
最近10年の施設別論文数で世界4位と報告され、
世界の甲状腺医療に貢献
していることが高く評価される。
2021年~
医療安全のいっそうの向上はもちろん、
消費エネルギーの最小化、
地域環境まで配慮したサスティナブルな
医療サービスの提供を見つめ、
人と環境に配慮した
大規模改築がスタート。
2023年に完成予定。
病院の改築計画を見る
2022年4月
新院長に「赤水尚史」が就任。
外科出身のドクターが院長を務めてきた
隈病院としては初めてとなる、
内科出身のドクターを新院長に迎える。
患者にとってよりやさしく、より負担の少ないものへと
医療のあり方が変わろうとするなか......
隈病院の新たな医療が
始まろうとしている。
世界に貢献する隈病院の知見
甲状腺医にとってバイブルと言われる教科書への 執筆をはじめ、 甲状腺の専門家に最も読まれているアメリカ甲状腺学会の機関誌「Thyroid」の編集委員に隈病院から3名の医師が選ばれるなど、 隈病院が磨いてきた高い知見は、 数々の出版物やガイドラインとして世界に発信され、 甲状腺医療に貢献しています。
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甲状腺医療の新しい姿を、
ここ神戸から
世界へと発信してまいります。